こんにちは。器用貧乏を極める男チャーミーです。
突然ですが、「僕ってもしかしてADHDかも?」と最近思うようになりました。想うと言うよりも確信に近い感情。
実の兄が数年前にADHDの診断を受けており、自分なりに勉強もしたし、どう言った特性が出やすいか、と言うことも理解していたつもり。
ただ、ADHDについて学ぶ中でまるっきりかけていたのが、
「もしかしたら自分もADHDの可能性あるかも?」と言う視点。
あくまでも人ごとだと思い込んでたんですよね。
ただ、兄から「チャーミーもADHDだよ多分(笑)」と冗談半分で言われていたこともあり、「んなわけないわ」と思いつつも過去の経験を色々と書き出してみました。
まさか自分がねえ、、と思いながら書き始めたものの、そこに書き出されたのは面白いほどにADHDの特性に当てはまる疑惑の数々!自分で書きながら笑えてくるようなエピソードばかりでした(実際にめちゃくちゃ笑いながら書いてました)
こんなに面白いことは皆様に共有したい!と言うことで「僕ってADHDかも?」と考えるに至ったおもしろエピソードを厳選してご紹介します。
「この記事を読んで何かを感じて欲しい」とか、そんな深い意図は一切ないです。
ぜひ笑ってやってください…
母親が通話している最中に電話線をカットしてしまう(幼稚園時代)
人生で1番古いはっきりとした記憶。
母親が固定電話で通話しているときに、ふと思ってしまった。
「この線を切ったら、電話越しの会話はどうなるだろうか?」
電話線を切ることが悪いことである、ということは間違いなく分かっていたと思う。本当に切ったら怒られるということも。
でも幼き日の僕は、その衝動、好奇心を抑えることができず、ハサミでちょきんとカットした。
やっちまったと後悔しても時すでに遅し。突然の事態に慌てふためく母、全てを知りながら立ち尽くす僕。
その後めちゃくちゃ反省していたらしく、お咎めは無しでした。理解の深い親でよかった。
ブランコの柵で前回りして頭を強打(幼稚園時代)
これも電話線事件と同じ頃のお話。
当時からかなり活動的だった僕は、いつも公園を駆けまわって遊んでいた。
様々な遊具で遊ぶなかで1つの疑問が。
「ブランコの柵のT字の部分で前回りをしたらいったいどうなるんだろう」(下記画像参照)

気になってしまったら止まれないのが僕の良いところでも悪いことでもある。

思い立ったが運の尽き。ここで前回りを決めました。

ここで。
結果はみなさまご想像の通りで、前頭部を強打して大号泣。
「やりたい」と思った時の行動力は小さい時からずば抜けていたと思う。衝動性の塊みたいな。気になったら後先構わずやってしまう。階段からもよく落ちていた。
こういう特性が人生においてプラスに働いている面も多々あるから悪いことばかりだとは思わない。ただ、失敗はたくさんしてきたし、痛い思いも人一倍してきた。
こういうとき、本人は死にそうに痛がってても周りの友達って爆笑するんですよね、、痛みよりそれが辛かったのを鮮明に覚えている。
子供達の名簿をバインダーごと無くす(2週連続) 大学生時代
学生時代、小学生向けサッカースクールのアシスタントとしてアルバイトをしていた。
基本的にはグラウンドでのアシスタント業務が中心。一時期は駅で子供達10人ほどをピックアップし、電車で数駅のフットサルコートまで送り迎えをしていたのだけど、これが本当に苦手だった。
A駅で子供達をピックアップし、B駅にあるフットサル場に送り届ける。
その後一人でA駅に戻り、まだ別の学年の子どもたちをピックアップしB駅へ届ける。
この繰り返しのいたってシンプルなお仕事である。
ただ、僕自身この子どもたちより年齢を重ねているだけで、注意力の散漫さに関しては一切負ける気がしないし、10人の子供に注意を払いながら電車で移動するなんてそもそも不可能であったと今ならわかる。当時は一生懸命に取り組んでいた。
おおげさにいえば子どもの命を預かっていたわけで、子どもたちを目的地まで送り届ける段階で大きなミスはしなかった。集中をしていればミスなくこなせる。
問題はその帰り道、一人で電車に乗り元の駅に戻るまでである。
その日に送り迎えをする子どもたちの名簿をバインダーに挟み携帯していたのだけど、この管理が本当にできなかった。
子どもを送り届けて一安心、集中が途切れた状態で椅子に座ると、バインダーが名簿もろとも意識の外に飛んでいってしまうのである。これは大変だった。
B駅からA駅に戻り、子どもをピックアップする集合場所に戻ってもバインダーと名簿はない。自分が誰を連れて行くのかさえわからない状態で集合場所に立っている注意欠陥の男は、おそらくこの業務に世界一向いていなかったと思う。
この翌週にも全く同じ過ちを犯し、なくしたバインダーは弁償いたしました。
電車も苦手なことの一つで、目的の駅で降り忘れたり逆方向の電車に乗るのは日常茶飯事だし、車内への忘れ物もひどい。荷物は自分の体から離さないなど自然に身につけたライフハックはあれど、気をぬくとスーツケースさえ電車に置き去りにする。
旅行先で荷物を置き去りにしたまま悠々自適にお散歩
昨年、沖縄に旅行に行ったときのお話。
片付けなければいけない仕事があったので、国際通りのスタバのWi-Fiを借りて作業。
仕事も終わりひと段落したところで国際通りの散策をスタート。
30分ほどふらふらと歩き、「のど乾いたしなにか飲もうかな、、」と財布に手を伸ばしたときに気付いた。
「やべぇ、、財布ねぇ、、」
あたふたと財布を探し始めた直後、もっとすごいことに気付く。
「ちげーわ、、バックパックごとねぇわ、、」
ここから記憶を遡ったところ、スタバに置き忘れている可能性が高い、、とダッシュで取りに帰りました。
運良く元あった場所にバックパックは放置されており一件落着。
仕事用PC、個人PC、財布、その他洋服などなどほぼ全ての荷物が入ったバックパックを放置する天然っぷり。
スマホとイヤホンだけ持って国際通りを散歩しておりました。
30分なにも違和感を感じていなかった自分、、かわいい、、
自転車をどこかに置いてきてしまい1年で2台紛失。
理由は不明だが、やたら「自転車」にまつわるエピソードが多い。
自転車をどこかに停めてから用事を済ませて、店を出るときには自転車の存在を綺麗さっぱり忘れて歩いて家に帰る。
翌日に自転車がないことに気づいて、
「あれ、自転車ないわ……たしか昨日乗って……あ!ファミマか!!ファミマに置いてきたんだ!」
と気付いて取りに行くことがよくある(自転車に日常的に乗っていた頃は月1ぐらいあった。)
そんなこんなで、2018年の1年間で自転車を2台無くした。
当時は「自転車を盗まれた!!」と真剣に思っていたし、2度も盗まれて心の底から憤っていた。
しかし、客観的に振り返ることのできる今なら分かる。
ほぼ間違いなく、自分でどこかに置き去りにしている。
自転車が無いことに気づいてから、思い当たる近所のコンビニやスーパーは探したけれどすでにその姿はなく、最後に自転車に乗った記憶もなく、どこかに置いてきた記憶がある訳もなく、ただただ「盗まれたに違いない」という気持ちで憤っていた。
コンビニに入った瞬間から、頭の中は「買うべきもの」「買いたいもの」でいっぱいになる。
ビールとおつまみを買って店を出るときには「はやく帰って飲みてーな」である。
コンビニに到着した段階では、「よく自転車をコンビニに置いていくから忘れずに自転車に乗って帰ろう」とか考えていたりするのだけど、それでも忘れるときは忘れる。
今を生きるのに一生懸命な僕に、乗ってきた自転車のことを意識の片隅に置いておくことなんてできません。ちゃんと自転車乗って帰れる人すごすぎ。
どうせまた無くすから半年ぐらい自転車に乗らない生活。歩くのも悪くない。
「僕ってADHDかも?」と思ったエピソードまとめ
改めて文字に起こしてみると、本当にひどい。自分でも笑えてくるおもしろエピソードのオンパレードである。
しかもここに書いていることは経験のごく一部で、ランドセルを忘れて小学校に行ったり、ランドセルを学校に忘れて帰ってきたり、小6の頃サッカーの海外遠征で行ったドイツで、自由時間にプールから謎の飛び込みかたをして頭から流血、滞在期間の半分ぐらいベッドで安静に過ごしたり、語りだせばキリがないらいに頭に浮かぶ。
こんなひどいエピソードだらけでも、つい最近まで自分がADHDかも?とは微塵も思っていなかった。
なぜなら「社会人としてなんとかやれちゃってるから」である。
多少の生きづらさは感じつつもサラリーマンとして人並みに仕事をしている(ように周りからは見えていると思う)
ただ、先日身近な知人からいただいた一言。
「それ、めちゃくちゃ生活に支障きたしてるよ」
いやいやそんなこと言われても普通に生活してるしそんなに困ってないよ何言ってんだよ…
と思いつつ改めて自分の過去を振り返り、客観的に判断したところによると…
めちゃくちゃ生活に支障でてるやん!!!!!!!!!!
チャリ返せ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!